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天橋立についてタイトル
日本三景 天橋立を詳しくご紹介
天橋立の形成と成り立ち
天橋立の形成と成り立ち

天橋立は、宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる全長3.6kmの砂嘴です。(地学上では砂州)。一帯には約8,000本の松林が生え、東側には白い砂浜が広がります。砂嘴の幅は20~170m程になります。成り立ちは今から約4000年前とされており、丹後半島の東側の河川から流出した砂や小石などの砂礫が海流により流され、天橋立の西側の野田川の流れから成る阿蘇海の海流にぶつかったことにより、ほぼ真っ直ぐに砂礫が海中に堆積して形成されたと言われています。

「日本三景」天橋立

日本三景とは、宮城県 陸前「松島」、広島県 安芸の「宮島」、そして当地、京都府丹後「天橋立」のことをいいます。まず「日本三景」という発想が最初に見られるのは、林羅山の子、林春斎が寛永二十年(1643)に、松島を天橋立・厳島とともに「三処奇観たり」と述べた『日本国事跡考』にあると言われています。その後元禄二年(1689)に、福岡藩の儒学者 貝原益軒が天橋立を旅行した記録『己巳紀行』(きしきこう)の中には「・・・そして府中から成相寺へ登ることになり、その坂の途中で、此坂中より天橋立、切戸の文珠、橋立東西の与謝の海、阿蘇の海目下に在て、其景言語ヲ絶ス、日本の三景の一とするも宜也、・・・」とあり、ここで初めて「日本三景」ということばが登場するのです。ここで興味深いのは、天橋立を日本の三景の一とすることは世に広くいわれていることであって、それをあらためて実感したという文脈になっていることです。このころから旅行案内記が手軽に出版されるようになり、また浮世絵などで全国各地の紹介がなされることにより、日本三景が世に広く人々にみとめられることになります。 (参考文献:宮津市史 通史編下巻)

京都府 丹後「天橋立」京都府 丹後「天橋立」
広島県 安芸「宮島」広島県 安芸「宮島」
宮城県 陸前「松島」宮城県 陸前「松島」
天橋立由来の伝説
天橋立由来の伝説

「丹後国風土記逸文」によると、国をお生みになった伊射奈芸命(いざなぎのみこと)が天に通うために梯(はし)を作られたが、命が寝ていられる間に倒れ伏し、天橋立になったという天の浮橋神話があり、天橋立になったという記事があり、これが名の起こりだとあります。天橋立は「神の通ひし道」であり「天と地の架け橋」であったことが伺えます。他にも色々な神秘的な伝説が残っております。

天橋立の文化
天橋立の文化

古くより天橋立は名所として知られており、都人の憧れの地として登場します。例えば、歌枕として「天橋立」が詠まれ、中でも小式部内侍が詠んだ「大江山生野の道の遠ければまだふみもみず天橋立」は百人一首のひとつとして有名です。また桂離宮の庭園のモチーフにされ、屏風や襖に天橋立が描かれるなど、まさに都人の美の意識の中に天橋立が存在したのです。 日本文化の基礎を築き上げた室町時代には、足利義満が天橋立(智恩寺)に6回に及ぶ参詣を行うなど、中央政権とも深い関係でありました。

また義満の来訪時には能楽を極めた世阿弥も随行したとも考えられます。なぜならば、井阿弥の作を世阿弥が改作した能「丹後物狂」は智恩寺をはじめ涙ヶ磯、成相寺などを舞台とする物語で、義満の前で上演したとも言われています。 この能は残念ながら長い間、廃曲となっておりましたが平成21年10月24日に天橋立・智恩寺を舞台にして観世宗家による能「丹後物狂」の復活上演が盛大に行われました。また天橋立を題材にした絵画も多くあり、雪舟が描いた国宝「天橋立図」は特に有名です。 文人墨客も多く訪れ多くの歌や俳句、書や絵も残されております。

海の京都「天橋立」

~天につながる太古の聖地~ 祈りが天に届く場所で神仏の源流に触れる幸福感。 神が天地を往来し、仏が人を導く聖地として往古より人々に守られ続けている天橋立。日本創世の神イザナギノミコトが天界から下ろした梯子の根本地とされる元伊勢籠神社の奥宮「眞名井神社」の古代祭祀場や、天空の観音霊場「成相寺」。天地に暴れる龍を文殊菩薩が善龍に改心させたとされる智恵の文殊として名高い「智恩寺」。 ここでは天につながる「天地和合」の物語を今も感じることができる。 天橋立地域は神と仏が交わる空間とも言われ、室町時代の画聖・雪舟が描いた国宝「天橋立図」には前述の三所に朱が施され、全体が一つの聖域として描かれています。古来、人々は天架ける浮き橋を通って自らの祈りが神仏の御許に届く様子を思い描きながら、海渡る参道・天橋立を渡ったのです。

智恩寺智恩寺
眞名井神社眞名井神社
成相寺成相寺
天橋立の楽しみ方
天橋立の楽しみ方

天橋立の見所としましてまずは展望台より天橋立をご覧頂くのが定番です。龍が天に昇っているような景色が特徴の天橋立ビューランドからの眺望「飛龍観」や股のぞき発祥の傘松公園の「斜め一文字」がおすすめです。見る場所によって天橋立も違って見えますので是非、両展望所より「天と地が繋がる架け橋・天橋立」をご覧ください。



対岸へは天橋立の中を徒歩やレンタサイクルで散策するのも気持ちがいいです。天橋立内には日本の名水100選の磯清水。与謝野寛・晶子夫妻の歌碑。特徴的な松に名前がつけられた15本の命名松。さらに、はまなすなどの花や野鳥など自然がいっぱいです。 美しい白砂青松を眺め、砂浜で水遊びや砂遊びに貝拾いもいいですね。また夏になると海水浴場として賑わいます。綺麗な海、白砂青松の中での海水浴は格別です。お帰りは観光船やモーターボートで天橋立を横目に眺めながら渡るのも楽しいです。天橋立は古来より巡礼の地。雪舟の国宝「天橋立図」にも描かれた日本三文殊のひとつで智恵を授かる文殊菩薩の霊場「智恩寺」伊勢神宮に奉られる天照大神、豊受大神がここから伊勢へ移られたという「元伊勢籠神社」西国巡礼第28番の札所で願い事がかなう(なりあう)という「成相寺」や籠神社の奥宮「眞名井神社」などの寺社巡りも天橋立観光のひとつです。少し足を伸ばして舟屋で有名な「伊根の舟屋」もおすすめです。どうぞごゆっくりと天橋立観光をお楽しみ下さいませ。

天橋立の楽しみ方
天橋立の楽しみ方
天橋立の楽しみ方
世界遺産に向けて

天橋立の景観は日本三景だけでなく数多くの指定を受けております。

1952年(昭和27年) 特別名勝 名勝地で芸術上または観賞上価値が特に高いもの、全国で35件指定
1955年(昭和30年) 国定公園 若狭湾国定公園の一部として
1983年(昭和58年) 日本の名松100選
1985年(昭和60年) 日本の名水100選
1986年(昭和61年) 日本の道100選
1987年(昭和62年) 日本の白砂青松100選
1996年(平成8年) 日本の渚100選
2007年(平成19年) 国定公園 丹後天橋立大江山国定公園として独立
2007年(平成19年) 美しい日本の歴史的風土100選
2007年(平成19年) 日本の歴史公園100選
2007年(平成19年) 日本の地質100選
2014年(平成26年) 重要文化的景観選定
2014年(平成26年) 海の京都観光圏認定

この天橋立の世界でも類例なき白砂青松の典雅な景観は、
日本美の典型として多くの文化・芸術を育みました。
これはまさに日本の文化景観の原点であるとして現在、
世界遺産登録を目指しております。

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